■小学生の部 萩尾優仁さんの作品
東多江子先生の講評
写真でも、萩尾くんが書いているように、つまようじをさした「おさむらいの」ロールキャベツが、きゅうくつそうにお鍋の中にいますね。オリジナルのロールキャベツをとても楽しんで作っている萩尾くんとお母さんの表情が、目に浮かんできました。独創的なたとえが生きている、とてもよい作文です!
「ぼくのロールキャベツ」
「十月四日は、なんの日でしょう。」と、ぼくのおかあさんがしんぶんをよみながらクイズをだしてきました。ぼくは、ヒントにみせてもらったロールキャベツのしゃしんをみて、ロールキャベツがたべたくなりました。おかあさんといっしょにれいぞうこの中をのぞきました。キャベツをみつけました。しかし、おにくはありませんでした。
「キャベツはあるけど、中にまくものがないね。」と、おかあさんがいいました。ぼくとおかあさんはそうだんしました。ほかのものをまいてロールキャベツをつくることにしました。ぼくは、れいぞうこの中から、だいすきなミニトマトとゆでたまごをとってつくえの上におきました。おいしいロールキャベツになるとおもいました。
ぼくは、まず、ミニトマトをキャベツにまきました。となりでおかあさんもミニトマトをまいていました。おかあさんのキャベツは小さかったので、トマトがはみだしておもしろかったです。
つぎに、ゆでたまごをまきました。ゆでたまごは大きいのでキャベツとはなれないように、つまようじをさしました。かたなをさしているおさむらいのようにみえました。かっこよくてつよそうなロールキャベツです。
ミニトマトロールキャベツとさむらいロールキャベツをなべに入れました。ひをつけてあたためているあいだ、ぼくはサッカーをしてあそびました。
「いただきます。」ごはんのじかんになりました。ミニトマトロールキャベツはしわしわでした。口の中にいれたらあつくてびっくりしました。ゆでたまごロールキャベツは一ばんおいしかったです。こんども、ぼくのすきなものをくるくるまいてロールキャベツをつくります。

■中学生の部 小松崎凛さんの作品
東多江子先生の講評
長子である凜さんの、孤独な頑張りがよく伝わってくる内容です。それにとどまらず、ロールキャベツに象徴されるお母さんの大きな愛も、読む人のこころにとどきますね。
「おふくろの味」
「ただいま」
キッチンからやさしいコンソメの香りがする。ロールキャベツだ。家族全員が大好きなうちの定番メニューだ。
「いただきます!」
ガブッとかじりつく弟。いつまでも冷ます父。お肉だけほじる妹。みんな笑顔でみんな幸せそうだった。
しかし昨年末のこと。母に乳ガンが見つかった。「母さんはお前らが大人になるまでがんばれないかもしれない」父はそれ以上何も言わなかった。きっと言えなかったんだと思う。
母の入院中、食事担当は私になった。そう言ってもレパートリーが少ない。煮込み料理なんてもってのほか。煮詰まってしまったのは頭の方だ。卵焼き。目玉焼き。スクランブルエッグ。弟たちは「もうケッコー」と言いながら徐々に寂しさをにじませた。「文句を言うなら食べなくていい!」「ねえちゃんのおこりんぼう」
父に泣きつく弟。最後は「凛、お前も言い過ぎだぞ」と私が叱られた。悔しくて、情けなくて、たまらずトイレにかけ込んだ。その涙を家族に見せまいと思った。
半年後母は帰宅するなり早々にお勝手に立った。しかし、である。久しぶりのロールキャベツは以前より小ぶりになっていた。肉ダネを包む母の手がやせてしまったせいだろう。
「熱いから気をつけてね」
私はいつまでも冷ました。熱かったんじゃない。寂しかった。このロールキャベツを食べたら母がいなくなってしまいそうで怖かった。だけど母に残された時間はあとわずか。
私は願った。止まれ、時間。湧くな、さみしさ。こぼすな、涙。笑って、わたし。
「やあねえ。母さん、まだ死なないわよ」
母が私の肩を抱いた。妹も弟も母にくっついた。父も両手で顔を覆った。みんな、みんな、母が恋しかった。でも祈った。信じた。もっと、もっと。
「絶対帰ってくるからそれまで頑張って。」
バラバラになった家族をつなぎとめてくれたのは母だった。何だかロールキャベツの爪楊枝みたいだった。
あれから母に教わってロールキャベツを作ってみた。不格好だが「ママと同じ味」とみんながほめてくれた。
その表情を見るなり、ホッとし、なぜだろう、少し泣いた。

■お母さん特別賞 植地宏美さんの作品
東多江子先生の講評
幼い頃にナイフとフォークで食べたロールキャベツ……育った家が目に浮かぶような描写です。専業主婦が当たり前だった時代と、ワーキングマザーが普通になりつつある現代。家族の食生活が変化するのも当然ですが、豊かな原風景が、今の家族にも彩りを与えてくれるでしょう。がんばれ!
私が生まれ育った町は、東北の小さな町で、私が小さな頃はほとんど家で食事をした。外食は月に一度あったかなかったか。父の仕事は不規則で、一緒に夕食を食べることは少なかったし、母は車の運転ができなかった。見渡す限りの田んぼが広がる家の近所に食事処はなかった。通常食卓に並ぶおかずは、祖父が作っていた野菜が多かった。ご近所さんからいただくものもある。煮物や炒め物、そして白いご飯とお味噌汁。
母は料理が上手だった。なんでも美味しかった。不思議なわが家のしきたり(?)があって、なぜか洋食の時は、ご飯を平皿に盛ってフォークとナイフで食べることがあった。その殆どはハンバーグ。古い茶の間のコタツの上にギュウギュウに並ぶ皿と私たちきょうだい。でも疑問も持たず、いつもとは違うマナーを楽しんでいたようにも思う。フォークの背にご飯を乗せて食べる練習をした。カレーの時はまた面白くて、スプーンでも良かったのだが、母のお勧めはフォーク。添えられたサラダを食べるのにスプーンでは無理でしょうと、それなら最初からフォークでカレーも食べなさいとの教えだった。慣れれば便利だ、持ち替えなくていいのだから。しかも意外とルーも綺麗に救えるものだ。
寒い冬の日、まずフォークとナイフが出てきたら、間違いなくロールキャベツだ。母が運んでくる深めの白いお皿に注がれたコンソメスープ。そうして、そのスープの上に2個並んだグリーンの丸いロールキャベツ。なんとなく気取って食べる。肘を立ててナイフを当てると、キャベツの中にスッと刺さる。柔らかくてトロトロ、幸せな味。数十年も前のことなのに目の前に石油ストーブの匂いとともに思い出される。
数年前からわが家の夕飯はめちゃくちゃだ。娘の塾通いが始まった頃からだろうか。フルタイムで働きながら小さな子たちを学童に預けた。時には学童で夕飯までお願いして娘の塾の送迎をした。行き帰りの車でおにぎりを食べたりした。サッカーのレッスンやダンスなどの習い事が重なった時期もある。やりたいと言うことはやらせてあげたかった。子どもたちはどんどん成長する、部活や遊び、時には気まぐれで部屋から出てこないなど、全員が思春期に突入した今、みんながきっちりと揃うことは、なかなか難しい。仕事で疲れた日などは惣菜で簡単に済ませることもある。
今年の冬は、もう少し、ゆっくりゆったり食事の時間を作ろう。そうだ、ロールキャベツも作ってみよう。とても昔に作ったきりだ。いきなりフォークとナイフを出してみよう。きっとうまく使えないと文句を言われるに違いない。家族で囲む食卓の記憶は一つでも多い方がいいと分かってはいる。シングルマザーになってから、そんな余裕があまりなかった。作っても嫌いと残されるくらいなら、好きなものばかり出してあげようと、お野菜を敬遠しているところがあったっけ。あと少し、子どもたちが大人になる前に、私にできることを、出来る限りやってあげたい。母の得意料理はロールキャベツだったと言わせてみせるぞ。

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